Hi Strangers!

シドヴィシャスに成り遅れた女の暴言

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Constellation

Immense solitude of a black hole
That devours my soul in malady
Falling off the edge of cold
How I seek the words of gods
No consolation in the Northern star
Where my rope is loosened tight
Some boats will cry out day and night
With no man's land awaits in the tar

求めるもの

私の人生とは、二つの大陸を行き交う船のようなものである。

一方は私を愛してくれる人々がいる大陸、
もう一方は私の理解者が住んでいる大陸。

愛の大陸はつまり母であり、家族であり、太古から変わらずそこにあるものである。
しかし理解者が住んでいる大陸は、年月の流れの中で変化するものであり、
ついこの間まで東にあったものが、西に移動していたりする。

その流動性はつまり、自己の成長もしくは価値観の変化に伴い理解されて欲しい側面が変わることによって生じる。

愛の大陸と,理解の大陸が合流して一つになってしまえばいいのに。とか、海などなくして全て大陸になってしまえばいいのに。とか思う。

なんて我がままで、ずる賢くて、欲深い人間なんだろう。
いっそのこと船を焼き捨ててしまいたい。などと自己嫌悪に陥ることもしばしば。


でもそこに海はあるし、帰らないと行けない大陸はあるし、探さないと行けない陸もある。


結局、そうやって一生船を漕ぎ続けるのだろう。
どの陸にいても、どの海にいても、彷徨う者の定めは変えられない。




5年間のアメリカ生活を経て

20091011_797060.jpg



5年間のアメリカ生活を経て、言いたいことは山ほどある。

けど、この結論から始めようと思う。

根本的なことは変わらずに成長したこと。
成長とは、木みたいに上下に伸びることではなくて、
荒波に角をとられる石ころみたいなものだったということ。
そしてそれは環境の産物ではなく、めくりめくる他者との関わりから生じたということ。


十代の頃よりか、視界がすっきりしてきたように思える。まだまだ霧は深く立ちこめているけれど、樹海ではないことがだんだんと分かって来た。二十代の半分を知らない土地で過ごして、色んな人と真剣につき合って(とういうか、逃げ場がなかったから半強制的に直面したことも多々)余計なものが削げ落とされていったように感じる。プライドとか、見栄とか、そういう荷物をどこかに置き忘れたのかもしれない。

人と人との付き合いの中でしか、自分を見つめることができない。
私は荒れ狂う大海原に溺れる一つの石ころに過ぎず。そうやって、もみくちゃにされて、つるつるになって、砂になって、最終的には結晶になるんだろうかと思う。



足し算じゃなくて引き算
ベクトルは常に内へ内へと
宇宙を目指す前に
マグマを感じようと

そう思っている今日この頃です。

永遠は今s

l.jpg



最近は大学からバスで20分程の町、アムハーストのRAO's Coffeeでたむろしている。
コーヒーがおいしくて、ウィーフィー(wifi)も強く、しかも一杯のオーダーで何時間でもいられるのが魅力。貧乏学生達が、冷めたコーヒーを片手に黙々とペーパーを書いている光景も痛々しく切ない。

ここのコーヒー屋さんはトイレのドアが黒板で、日替わりで色んなことが色んな色のチョークで殴り書きされている。

先週の日曜日、そこのトイレでしっこしていると黒板に書かれたある黄色い一文が目に入った。

”Forever is nows" by Emily Dickinson

エミリーディキンソンとは私の大学を中退した、アメリカ文学を代表する引きこもり作家。この辺の町はエミリーディキンソンのレジェンドで今も潤っている。(ちなみに私の寮もこの人の名前からとってディキンソンという)。

Forever is nows,,,

やけにインパクトがある言葉だ。

”Now” が複数形で書かれているのがパンチの大部分を占めている。
sが全てのバランスを崩し、呪文のように私の脳みそを泳ぎ始め、私はその日以来Forever is nows という言葉に踊らされている。

日本語ではこう書くことにする。
「永遠とは今s」。。やはりSはそこにいるべきで、訳しようのないニュアンスがその中に潜んでいる。

永遠とは今の連続だといいたかったのだろうか。それとも今、この瞬間瞬間が永遠だといいたかったのだろか、、

どちらにしろ同じことだろう。永遠と今を切り離すことができるのは、人間だけに与えられたある種の権利なのかもしれない。それが善かれ悪かれ、私たちは常に永遠を計画しながら今を生きる。
でも、Forever is nows はその計画をあざ笑うようにそこにいる。黄色い汚い字で、しかもトイレの中で、私の事をそしてそのトイレを利用する全ての人間を見下ろしている。


月曜日にRao'sのトイレを使った奴はラッキーだ。この黄色い文字達の笑い声を一生知ることのないラッキーな人達だ。



拝啓 

高校三年生の時、タイムカプセルとらやに入れる手紙に書いた2行。

『拝啓 未来の涼子へ

ただただあなたのことが心配です。』


お経のように鳴り響くこの2行は、ゴミ回収中ずっと脳裏を離れなかった。
安いエイトフォーの匂いがたちこめる教室から、かれこれ6、7年は絶っただろう。今の私は、『未来の涼子』なのだろうか。卒業間近の心境は確かに、あの希望と不安が混沌としていた高校3の教室に似ている。甘いようで苦いようで、全てを一時停止したくなるような圧迫感。全てを変えたかったあの頃、そしてなにも変わらない自分を見つめ安心する今。

結局、どう生きるかとか、誰と生きるかとか、どこで生きるかなんてあんまり関係のないことなのかもれしない。人の一生とは、どう分かち合うかということに収まるのかもしれない。

ジーコのいる教室の窓際でうたた寝する、お先真っ暗なケニーへと現在の私から返事を書くことにする。

『拝啓 高校生の君へ

心配されて光栄です。私も凄く自分のことが心配です。
でも心配を分かち合える大切な人々が周りにいて幸せです。』

そして、未来のミス、ミセス、もしくはディボースマダム涼子にも手紙を書くことにする。

『拝啓 なんとかなっているでしょう君へ

心配しなくても、生きている限り心配し続けるようなものなので、
どうぞご心配なく心配してください。そしてもし、あなたのその心配性を笑ってくれる人がいるのなら、その人を大切に。』

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プロフィール

ケニー

Author:ケニー
年)  24
生存地)現在ーアメリカ、マッサチューセッツ州
何者?) 国際政治学を学ぶ者
好き)旅、読書、映画、会話、自然と戯れること,アイルランドの紅茶とミルク、音楽、
嫌い) 寒い冬、暇、縦社会、責任、怠慢、マグロ、愚痴
生まれる前はたぶん) さまよえるジプシー、
ネイティブアメリカン,そして70年代のコカイン中毒ヒッピー。地理力がいいことから、海賊かアレキサンダーザグレイトだった説。。それかジンギスカンか。現世にいたっては国籍不明な怪しい女。

音楽は魂に触れるものなら
なんでも聞きます。。ラップ、R&B,カントリーミュージックは例外として。。。。



映画と旅に物凄く心を奪われます。

宜しくね。


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